はじめまして!
当サイトにご訪問下さり、本当に有難うございます!
管理人の「ヒロシ」と申します。
55歳で突然無職となり、絶望を味わいました。
現在は自宅でアフィリエイトをしていて、月に30万円前後収入を得ています。
SNSやネットでは「月8桁達成しました!」「アフィリエイトを始めて半年で100万円達成しました!」なんてモンスターがいる中では、まだまだですね。
私がお伝え出来ること
- 50代からの転職活動の現実と進め方
- ブラック企業との戦い方
- 50代の副業
- 50代からのアフィリエイトで稼ぐ方法
プロフィール
1964年生まれの56歳(2020年12月現在)関西在住です。
学生時代はサーフィン・スキーに明け暮れた「ミーハー野郎」でした。
大学卒業後、一部上場会社に入社。8年間勤めましたが取引先であった社長からヘッドハンティングを受け、ベンチャー商社に入社します。
しかし、毎日終電、週の半分は出張、休日も電話がじゃんじゃんかかってくる、という生活でした。
この時、子供は5歳と2歳。一番一緒にいたい時期です。
そんな中、やっと取れた休日の出来事です。キャンプ場で電波が届かない状況から帰ってきた休日最後の夜に電話が、、
「何度もかけたのに電話に出ないなんて、やる気あるんですかっ!」
と常務(社長の奥さん)からキレられました。同族会社ですので、奥さんが常務取締役で「経理担当」なのに営業にも直接絡んでくるんですよね。
こんな状況ですが、何とか5年ほど頑張って勤めました。
初めての転職活動
でも、もう肉体的にも精神的にも限界でした。
こっそり転職活動を開始しました。初めての転職活動ですね。
当時は今のようにスマホもなく「ガラケー」でしたので、外出先の空いた時間に情報を集めることはできなかったです。
で、何とか入った会社はIT関連(ソフトウエア開発・人材派遣)の会社です。
そこで2年ほどはソフトウエア関連の営業をしていましたが、派遣事業部の営業責任者が倒れ、仕事への復帰が見込めないことから、その事業部に移籍することになりました。
派遣業は初めてなので、いろいろ戸惑いました。法律も勉強しなくてはいけません。
そして派遣登録者の方の採用・面接も経験しました。多い日は1日に5人とか面接していましたね。当時ITエンジニアの派遣は業績も右肩上がりで順調に推移していました。
しか~し!本業のソフトウエア開発が赤字案件が続き、なんと民事再生を適用する、というのです。
派遣事業部は黒字なのに・・
そこで派遣事業部の責任者とスタッフで会社を抜けることに。
新たな会社を作って仕事を再開しました。
東京・大阪・名古屋に拠点を増やし業績は順調に推移していました。
そこでやってきたのが”リーマンショック”です。
東京はまだマシでしたが、大阪・名古屋の得意先は仕事の「内製化」を強烈に推し進め、”派遣切り”が猛威を振るいました。
結果、業績は急激に悪化して名古屋は閉鎖されます。大阪はその後も何とか細々とやっていましたが、2014年に閉鎖が決定。
当時、私が大阪の責任者で、「スタッフ全員東京への異動か退職か」を迫られました。
スタッフにも相談しましたが、東京への異動は誰も望みませんでした。
私が面接して採用したスタッフをこのまま路頭に迷わすわけにはいきません。
メンバーを引き連れて知り合いの会社に移る
「どうしたらいいのか?」
かなり悩みました。悩んだ結果知り合いの社長に相談し、全員で移ることにしました。
これが大失敗でした。
いろいろありましたが5年間働きました。しかし、結局は本業ソフトウエア事業の赤字を精算するために派遣事業を他の会社に売却したのです。
責任者である私に一言の相談もなく・・
そして社長は残った私を追い出しにかかります。
・売れないソフトウエアの専任営業という職種にあてる
・給与50%カット
「しまった!」
と思った時には時すでに遅しです。
挙句の果てには給与支払い日に封書で「資金繰りがショートしたので給与は払えない」と。さらに全く身に覚えのない事への賠償問題も絡ませてあります。
もう無茶苦茶でしたね。直接話しに行っても「解雇だ!帰れ!」と言われる始末。
即効で労働基準監督署に相談に訴えました。
労働基準監督署も悪質なケースだ、とすぐに動いてくれ給与は遅れましたが振り込まれました。
あまりの腹立たしさに弁護士にも相談しました。
弁護士は、
・不当解雇請求
・合意のない大幅給与減額分の請求
・精神的ダメージへの損害賠償請求
が可能でしょう。ということです。ただ、あまり乗り気ではないようです。
「裁判すれば勝てますが、多分お金はほとんど戻らないでしょう。なぜなら、会社にはもうお金がないと思いますよ。法人なので社長個人の資産にまでは手を出せません。」
「裁判は時間も労力もかかります。よくよく考えて決めてください。」
というのです。
私も冷静に考えてみました。
時間と労力をかけ裁判をして、何度かまたあの社長の顔を見ると思うとゾッとします。ましてやお金も戻らないなんて。。
もう関わらないでおこう。そう決めました。
となると結果的に無職になってしまったわけです。愕然としました。
先のことを考えると絶望感が襲ってきます。
50代での転職活動
思いもかけず無職になり、仕事を探すことになりました。しかも年齢は55歳です。
この年齢で仕事は見つかるのか?
不安でいっぱいでしたがじっとしているわけにもゆきません。
いくつかの転職サイトに登録し、何十年ぶりかに履歴書や職務経歴書を作りました。
良さそうな仕事にエントリーするも、
この会社名が変わったメールが何十通と送られてくるだけです。
ハローワークにも行ってみましたが、正直応募しようと思える求人はありません。
仕事の幅を広げ希望給与額を下げて、やっと3社面接が決まりました。
1社は面接で落ちましたが、2社内定をいただきました。
ただ、面接で聞いた業務内容と待遇面が、求人サイトの募集要項と大きく違っていて辞退しました。
そんなときにコロナウィルスが!
そんな中、コロナウィルスが広まり非常事態宣言が発令されました。
求人も減りましたし、ハローワークに行くこともできません。
自宅で過ごす時間が増えたので、今後についてもう一度考えました。
現実は、
・サラリーマン時代の給与は、もうもらえない
・選べる職種はほんの一部に限られている
・正社員で入れる会社もほとんどない
ということ。
そして、家のローンもあるので、まだまだ稼がなくてはけないということ。
普通に転職しようとしても、もらえる給料は月20万円あればいいほうです。
自分で稼ごう!と決めた
最後の会社は「給料は上げれないから副業は自由にどうぞ」、という方針でした。
私も収入を増やすべく、副業でアフィリエイトをしていました。
アフィリエイトを始めて2年くらいで、月20万円ほど稼げるようになり「余裕もでてきた!」と思っていたら、googleのアップデートによって副業の収入はほぼゼロに・・・
さすがにショックでしたね。
それからは、記事の執筆やメルカリなどをしていました。でもほとんど収入にはならないので、再度アフィリエイトを始めました。
SEOではアップデートの影響をモロに受けるので、リスティングをやってみることに。
最初の3ヶ月は赤字でしたが、4か月後はほぼトントンに。6か月後から利益が少し出始めました。
会社を辞めたのはちょうどそのころです。
50代で転職活動をしてみた結果、月に20万円もらえれば上出来、ということが分かりました。
じゃあ、
そう考えたんです。
そうすれば定年を気にする必要もありません。ただ収入が不安定というリスクは否めませんけどね。
でも決めたんです。自分で稼ぐ力をつける!と。
最後に
長文にもかかわらず、ここまで読んで下さり本当に有難うございます。
私はこれまでの経験で、
- 面接官の経験上「どんな人が採用されるのか」
- 50代での求職活動のポイント
- 50代アフィリエイトの始め方と稼ぎ方
をお伝えすることができます。
ブログもまだ立ち上げたばかりですので、情報もこれからドンドンアップしてゆきます。
今後とも何卒宜しくお願いいたします。